徒然なる日々

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鎌倉 小町通り沿いにあるお店に私が入らない理由

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鎌倉で最も栄えている場所といえば、小町通り。コロナウイルスが流行っているこの時期にさえ、それなりの人がいて、とても活気があった。

 

旅行客にカップル、家族で遊びに来ている人も多かった。

 

私もせっかくだからと思って歩いた。いくつかのお店は覗いてみた。だがお店に入ることはなかった。特に飲食することはこれからもないだろう。

 

正直に言えば、これは小町通りが悪いのではない。

 

そもそも私は小町通りに限らず、人通りの多く、立地の良い場所にあるお店には入ることがほぼないのだ。

 

今日の投稿は偏見に満ち溢れている。どうかもし小町通り沿いにお店を出している方が見ないことを祈りつつも、せっかくだからその理由を書いてみたいと思う。

 

立地の良いお店のお客様は「一期一会」

繰り返しになるが、小町通りでお店をやっている人を批判するわけではない。勝手な私の偏見だということを前提に読んでほしい。

 

商売で最も大切なことは集客だ、と言われている。1にの2にも集客。お客様が来なかったら商売は成り立たない。

 

そこで立地の良いところに、高いお金をかけて出す。観光地だから財布も緩んでいる。一期一会。地元名産品を使った料理であれば、少し高いお金を出したとしても観光客は満足する。

 

リピーターなんてとんでもない。広告にお金をかけて、いかにも自分のお店が繁盛しているように見せる。雑誌やテレビで紹介されたら儲けものだ。

 

一度テレビや雑誌に取り上げられたら行列がなす。その行列を見て、お客様が「美味しいお店だ」と思って来てくれる。

 

つまり、私の偏見によると、観光地で良い立地の人は集客にお金をかけている。「より美味しいものを食べてもらおう」という想いではなく、「観光に来た人がお金を落としてくれればいい」という想いでお店をやっているのだと勝手に思っている。

 

味や接客サービスのクオリティは2の次、3の次である。とにかく来てくれれば良いと思っているように思う。

 

 

立地の悪いお店は、リピーターが来なければ潰れる

だから私はメイン通りではなく、一本外れた道にあるお店に入ったり、少し離れた箇所にあるお店に入る。

 

立地の悪いお店は、美味しくなかったら人が来ない。「小町通り」という強烈な観光名所があるにも関わらず、「別のところで食べよう」なんて思うのは、何度も来て小町通りに飽きた人か、地元の人ぐらいだろう。

 

地元の人は味と料金にシビアだ。高いのであればそれなりの質がなければ来ないし、安くとも不味かったら来なくなる。当然、立地の悪いところに出すお店は、当然味と料金にこだわる。

 

だから美味しいのだ。接客だって素晴らしい。全体に気配りが聞いていて、適度に落ち着いて食べることができる。

 

「せっかく来たのだから美味しいものを食べたい。」そんな私の欲を満たしてくれるのだ。

 

食だけではない

立地が悪いお店が良いのは食だけではない。サービスや物販をやっているお店も同じことが言える。

 

立地が悪くとも長く続いているお店というのは良いサービスや良い商品を販売していると勝手に思っている。そうでなかったら一瞬で潰れる。

 

 

訪れる価値のあるお店

人を集める努力をせずとも人が集まってくるお店こそ、本当に訪れる価値があると考えている。それは実店舗だけでなく、ネットの世界でも同じことが言えるだろう。

 

せっかく観光で訪れた場所だからこそ、そんな価値あるお店に入りたいし、価値あるお店に出会いたいと思っている。